“想像”の作用

朗読コラム

”前回、前々回、朗読で伝えるためには何が重要かをお話ししましたが、今回はその第3弾、「声を出す時点では文字を読まない」という事をお話しします。

朗読なのに文字を読まないとはどういうこと?!と思われますよね。
文字に囚われないと言った方がいいでしょうか…。
読み手が、音として発音する前に、まず文字で書かれていることをしっかり映像として描くこと、そしてそれを丸ごと届けようと思うと不思議と伝わるのでは…思うのです。

 

私は以前、ストーリーテリングのサークルで6年ほど活動し勉強させていただいたことがあります。ストーリーテリングとは絵本の読み聞かせとはまた違って、本を使わずに昔話や短いお話を(特に子どもたちに)届けるものです。今年2021年秋、文化功労者のお一人に選ばれた松岡享子さんがアメリカの大学で学ばれ1963年に帰国後、石井桃子さんらとともに設立された東京子ども図書館が中心となり活動を広げ、今では日本でも全国各地でたくさんの方々が、ストーリーテリングで子どもと本をつなぐ活動に力を注がれています。ストーリーテリングについて話し出すと、少しかじった程度の私でも語り切れない程ありますので、一先ずここは置いておいて…

 

本を使わないということは、お話を丸々覚えなければいけません。記憶力はかなり心配がありましたが、それなりに上手く話せるかなと思って始めたものの、どうも子どもたちの反応がしっくりこないのです。静かにちゃんと聞いてくれるのですが、いまいち手ごたえがない。原因がなかなかつかめないまま数年後、子どもの心をつかむお話ができる先輩は、覚えるときに、自分で場面を想像し、その映像と言葉を結び付けて覚えている、そして話すときは、その映像を頭に浮かべながら言葉を発しているという事を知ったのです。そういえば私は、文を覚えることにだけ一生懸命になっていたことに気づき、そのように努力してみました。

するとどうでしょ!!子どもたちが、お話の世界の中に自然に入り込んでいき楽しんでいるのがわかるのです。そして私も一緒にお話の中の世界を楽しめ、子どもたちとの距離がグッと近くなったと感じるのです。これだったのか!!と実感しました。

 

子どもの反応は、忖度ある大人と違い怖いくらい正直です。

そして、朗読ももしかして同じことではないかと考えます。
読み手が、書かれている内容やそれぞれの場面を想像していて、その映像を届けようという気持ちがあれば、聞き手は想像しやすくなり、その世界に入りやすい。なぜなら、その映像を届けようとするだけで、自然と緩急・強弱・間の違いなどが生まれ、聞き手がそれをキャッチできる。人間は、日常で、その微妙な違いを使い分け、また察知する、凄い能力を使っているのではありませんか?

ただ、人は千差万別、個性もいろいろで、みんな同じような感覚でキャッチできるとは言えませんが、その感覚が一致した時、共有できる楽しさが生まれるのではないかと思います。(勿論、エッセイなど映像が描き辛いものもありますが、その場合は意味のまとまりをしっかり考えるということになるのでしょうか…)

 

文字だけを一生懸命読まない、書かれていることから映像を描き、その映像を頭のどこかで描いているような感覚で言葉を発する…読む時は、他にもいろいろ考えることがあり、またとても抽象的なことなので、なかなか難しいことではありますが…

伝えるために、人間の持つ凄い能力に働きかける、一つの方法かと考えます。

井口朗読教室 講師井口伊佐子